匂ってるのは、彼らのヲタ臭ではなくて自分の加齢臭かもしれないね

 「最近のニコニコ動画はヲタ臭がきつすぎて近寄れない」を読んで、なんとも羨ましいナァと。自分の眺める世界の中心にしっかり自分を置いていて、自分を中心に動いていないものがあれば、「それがおかしい」と言い切れてしまうその、なんだろ、チカラ? 感性? 若々しさ?


 自分の眺める世界の中心に自分がいない、そんなところに自分なんかを置きようがないことを思い知らされるのは、とっくにそうだと分かっているつもりでも、何度体験しても、結構つらい。少なくとも今の俺にはまだつらい。
 以前はニコニコ動画も結構頻繁に見ていたのだけど、最近はぼちぼち程度にしか見ていない。俺が見るのは基本的にゲームのプレイ動画なんだけど、ほら、ああいうのって、ただオプレイするだけじゃなくて、他のアニメやゲームのBGMに差し替えたりとか、場合によっては映像自体を挟んだりとかするじゃないですか。あれがね。最近、全然付いていけないの。何が面白のか分からない。邪魔だから止めてくれ、と思うようになった。元になっているゲームやアニメをよく知らないことが多いから、ていうのが大きいのだけど、でも、もうダメ。
 それだけならいいんだよ。俺はこの動画の人と合わないんだなって思うだけだから。何がつらいって、俺は全然面白くないと思ってるそういうのが、他の視聴者にはしっかり受けてたりすることな。再生数もコメント数もすごい伸びて、コメントでも面白がってる。で、「え、あ、俺だけ、なの? 面白くないと感じてるのは……」ていうね。オタクの場合って、そう言う疎外感みたいのを優越感に摩り替えて「俺はああいうのに迎合しないぜ」「俺はあんな低級なオタクとは違うんだぜ」「群れて騒ぐだけのキモオタとは一緒にしないで欲しい」みたいに思い込んでみたりすることもあるけど、最早それすらもないのね。ただただ、「俺はもう、他の人たちに付いていけなくなってるんだな」ていう。それがまた、落ち込むわけよ。自分への誤魔化しや開き直りすらしないのかよ、て。悲しいと言うか寂しいと言うか。うーん。切ないかな。年を取るってこういうことなのだろうか、って言う。悪い意味で。大人になるって言うより、鈍ってるって感じ。


 まぁ、考えてみればね、そもそもメインストリームにいたことなんてほとんどないんだけど。ゲームだって、今やってんのXbox360だよ。日本のゲーム業界における最小派閥だよ。アニメに至っては、見てない。『らきすた』とか『マクロスF』とか『ガンダム00』とか、タイトルは知ってるけど一度も見たことない。そんなんだから、ニコニコ動画なんていう一番(無駄に)元気のあ(り余って)るオタクが集まってるところに行って、話やノリに付いていけるわけが、最初っからないんだけどもさ。けどもさー。うーん。


 ときどき、思うんだよね。2ちゃんねるとか、ニコニコ動画とか。もし中学・高校生のとき、俺が一番元気よくオタクやっていたときに出会っていたら、どうなっていたろうって。今の人生を後悔しているわけじゃあないし、そんなifが叶ったりしたら今以上に(かなり深刻な意味で)道を踏み外す結果になりそうな予感がひしひしとするんだけども、でも、どうだったんだろうなぁって。楽しんでたのかな。どうだろう。『らきすた』を肴にネットの動画配信の可能性を熱く語ったりとか、所謂ニコマス初音ミクなんかに素人創作活動の可能性を見て大興奮したりとか、したのかな。ゲームについて言えば多分、PSPモンスターハンター遊びながら「任天堂はまやかしのゲームを売っている、こっちこそ本当のゲーム」とか言っちゃう、見事なまでに典型的な子になってたろうなってのは想像に難くないけど。うん。やっぱ今の人生でいいか。
 でもまぁ、そういうことも考えるとね。若い人が自分にはよく分からないもので面白がってはしゃいでるのを、いちいち見下して貶すのは愚かしいとは思えるようになるよ。若いって、そう言うことだと思うから。自分だって、若い頃には自分なりに、今よりは熱かったと思うもん。そういうもんでしょ。そうあるべきでしょ。陳腐な言い方をすれば、「若者の特権」? はしゃげるうちに、はしゃいでおくべき。自分の感性が「たまたま」メインストリームと重なり合っているうちに。世界の中心に居られるうちに。多くの人は、段々とそれがズレていくんだよ。そうなってからじゃ、なかなか戻れないからね。だいたい、若いうちから何だかやたらと達観したようなのばかりたくさん居ても、ねぇ(できてないのにしてるつもりの人はたくさんいるけど!)。その方が恐ろしいよ。いずれはそういう新世代が現れるときも、来るのかしら。世代間抗争がひどいことになりそうだ。
 あ。あまりはしゃぎすぎると、別の意味で「戻れなくなる」から、それは気をつけようね。そう言う点では、俺が中学生の頃にネット環境なんてなくて本当に良かったと、これは心の底から思う。