ないのはたぶん勇気ではなく……

 ユーザーが望むのは「面白くてすごいことが実現されたゲーム」であって「すごいゲームを考えてるスーパークリエイター様」ではないことにそろそろ気がつかないのだろうかと言う気がするけども、「そういうのがいいんだ、とにかく『スーパークリエイター様が作られたゲーム』を遊びたいんだ」というユーザーもいるのかもしれないので、ファンでも対象ユーザーではない俺が言うことではないか。「ブルーレイでも容量足らない」もそうだけど、90年代のゲームバブルじゃないんだから、そういうのが「すごーい」なんて持て囃される時代はとっくに過ぎたと俺は思ってるんだけど、どうなのだろう。こうして現にやってる人がいるんだから、そうでもないのかな。


 「まだ本気じゃない、本気出したらすごい」って、例え事実だとしても、ユーザーとしちゃどうでもいいわけだよ。どうでもいいっていうか、どうにもならない。買おうとしてるユーザーからすれば「そんなこと言ってる暇があるなら、今からでも本気出して作れよ」てことでしかないわけで、「いやでもハードのせいで本気出せないだけなんだ、本当はすごいこと考えてるんだ俺」て返されたところで、ねぇ。まさに要は、勇気がないんでしょ?だよな。
 ユーザーには「じゃあ買わない」という選択肢もあって、強力な手札ではある。のだけど、しかしそこは所詮どこまで行っても受け手側、消費者であることの悲しさで、例えそれを作ってる奴がどんだけ気持ち悪かろうがムカつかろうが、出来上がってるモノが面白そうだと思えば、見たければ、遊びたければ、買うしかないのだよなー。で、遊んでみて面白くなければ「つまらねぇ言い訳しやがってあのヤローもう辞めちまえ」となって、面白くても「発売前に萎えるようなこと言わなきゃもっと素直に楽しめたのにあのヤローもう黙ってろ」となって、そのゲームのことを思い出すたび舌打ちしたり転げまわったりする羽目になるという、まぁつまり、どう転んでも上手く行かないわけだよ。言った本人は「売れれば良し、評価高ければ良し、かっこもついた」って満足だろう。うまくいけば「10分の1でもこんなに面白いんだから、俺ってすごいでしょ」て自慢できるし、もしうまくいかなかったら「だから発売前からわざわざ言っておいたじゃない」て重ねて言い訳できるし、何より、嫌なら言わなければいい。最初から何も起こらない。でもユーザーってのは作品も発言もただ相手から受け取るしかないわけなので。選べないのだよね。相手の出方を待って、喜んだり萎えたり怒ったり頷いたりすることしかできないので。何かするんならもうちょっと「盛り上げていこう!」って気持ちでいてくれると、嬉しいなぁと、


 まー、だからって、「こんどの作品はすごいですよ! 最高ですよ! どうよ!」とか、なんかえらい自信満々自画自賛みたいのも、ちょっとどうかなーていうのあはるけどねー。ガイジンみたいなノリのよさ・テンションの高さでのイケイケじゃなくて、単に自惚れや、もう定型の宣伝文句じゃないのかそれは、てのね。実際のモノより本人の発言のがいちいち大仰過ぎちゃうもんだから「それでそこまで自慢げになられてもっちゅーか、なんでアンタいつもそんな自信満々なんすか」ていう。ええ。キャラクタとして面白いってのもなくはないし、製作者自身が自信を持って出してくれるのは非常に結構だけどもさ。でも製作者側だけやたら盛り上がられると、それはそれでこっちはなんだか妙に醒めてきてしまって盛り下がるといいますか、不安になってくるというか。この人そろそろ現実見えなくなってんじゃないか的なさ。そんな人がどこかに本当にいるのかは知りませんけどね。知りませんよ。