主人公は俺

 プレイヤー=主人公という図式でノン・プレイヤ・キャラクタとのコミュニケーションを図るゲームって言うか簡単に言えばギャルゲーをやるとき、名前変更が可能ならば自分の本名を使うことに決めている。恥ずかしい? 別に誰も見てねぇよ。
 でも、ギャルゲーばっかやってた頃は恥ずかしかったんだよな。もうあまり覚えてないけど、多分あの頃はまだ本名を入れることには躊躇いがあった。なのに、ギャルゲーをやることが減っていくにつれて「いれるべきだ」と思うようになった。何を恥ずかしがることがある。だって、主人公は俺なのだから。あの架空の世界で生活するためにああいうゲームをやっているのであって、なのに他人の名前とか入れる意味が分からない。わざわざゲームプレイ用の名前を考えるとか無駄すぎる。俺じゃない誰かの行動を選択して女といちゃつかせてそれを眺めたって、何も楽しくない。残念ながらそんな趣味はない。
 勿論、俺じゃないほうが良いときだってある。『To Heart』の世界を生きるのは、俺じゃなく藤田浩之が適任だ。むしろあいつ以外に任せられる奴はいない。デフォルトネームのままなら名前も呼ぶしな。だがそんなのは例外だ。そのゲームの世界の中で生きるのは、あくまで俺でなきゃだめなんだ。


 最近始めたばかりの『転生學園 月光録』と『機動戦艦ナデシコ The blank of 3years』でも、主人公の名前は本名を入れた。ギャルゲーマーとして当然の嗜みだと思う。
 なのに! 『機動戦艦ナデシコ』め、途中で分岐するルートによって名前が変わるときがある。プレイヤーに名前を入力させる場面があって、しかもデフォルトネームが用意されていないのに、あるルートに入ると強制的に名前が変えられる。あらかじめ用意された名前だからキャラクタたちは音声付で呼びかけてくれるが、いや待て。主人公が俺じゃないゲームだっていくつもやってるが、一度は名前を入力させといてそれを否定するってのは、おまえ俺に喧嘩売ってやがるのか。入ったはずのゲーム世界を追い出されたようなもんだ。追放されたのだ。最大の侮辱である! ならば戦争だ!!


 とか書いてたらなんだかよく分からなくなった。えぇと、何を書こうとしてたんだっけなぁ……?