人類対コンピュータ

 最近はXbox Live ARCADEの『UNO』がお気に入り。お試し版なのでルールのカスタマイズができずDrawを重ねられなかったりする不満はあるのだけども、言うまでもなく元のカードゲームが素晴らしいので、楽しさはお墨付き。


 ただ一つ受け入れがたく思う点があって、いやゲーム自体がどうと言うよりもこちら側の心持ちの問題なのだけど、どうしてもコンピュータが信用できない。カード配るのはコンピュータで、対戦相手もコンピュータ。彼らの持ち札は当然こちらからは一切見えない。なもんで、こっちの持ち札や場に出したカードに合わせて後出しジャンケン的にすり替えが行われてるんじゃないのかとか思ってしまうんである。対戦相手として動いているAIと、ゲームの進行を制御してるCPUを分けて考えられない。皆でグルになって自分をはめてんじゃないのかとか、段々と疑心を振り払えなくなっていく。
 これはRPGシミュレーションRPGをやっていてもそう。例えばRPGで、フィールドを歩いていると突然画面が切り替わってハイ戦闘開始、なんてときに「不意打ちされたので相手の先制」とでも出た日には、もうそれだけでゲンナリ。フィールド上にもこちらのプレイヤーキャラクタ同様に敵のシンボルが出ていて、その接触の仕方でそういう結果が出るというならまだ分かる。しかしただ歩いていただけなのに「不意打ちされた」とか「不意打ちした」とか言われても、納得できない。「そりゃお前(CPU)が勝手に『不意打ちだ』と決めただけじゃねぇか」という理不尽さの方が勝る。シミュレーションRPGでは、いわゆるヒット率や回避率と言うやつ。一応は数字で現されているが、でもそれが信用できない。「結局はお前(CPU)の匙加減一つじゃねぇか」と思ってしまう。CPUを審判にしてCPUと対決させられている感じ。おいおい公平じゃないじゃん、て言う。実際には恐らくそれらはちゃんと別々のプログラムで動いているのだろうけど、でも、ダメ。信用するのは無理。


 そんなこんな思いながら、なるほど、ゲームがヘタクソなくせに自分がアクション好きで、一方RPGシミュレーションRPGが苦手なのはそういうのも一つ理由としてあるのかなとふと考えた。アクションゲームだって先述の構図から完全に外れているわけじゃないけども、それでもまだプレイヤーの「腕」に置かれる比重が重いから、難しいなら難しいなりにも公平感がある。「上手くいかなかったのは全部自分のせいだから、その悪いところを改善すればちゃんと先に進める」ていう。つーか、いや、つまり、他に責任を押し付ける要素がない。これだな。うん。運がなかったとか、レベルが足りなかったとか、そういうのがなく、解決に至る道が唯一つ「お前が上手く動かせ」と示されているから、他に気を取られずにそこに挑める。経験値稼ぎだの強化アイテム探しだのしなくていいから、ゲームを中断することもなくダレづらい。これだよ、きっと。
 とか、自分の好みの話なのに何故か他のことから逆算して推測していくしかないというのはどんなもんだろうとか思った。でも自分が何でそういうゲームが好きなのか説明しようとすると、うまくいかないんだよな。「だって面白いと思ったから」としか。自分がお馬鹿なだけなのか、皆そんなもんなのか。まぁどっちでもいいことか。
 とりあえず、そろそろちゃんとマイクロソフト・ポイント買って、Xbox Live ARCADEタイトルの完全版も買うようにするとしよう。