SFC, PS, Xbox に見るゲームコントローラーのユーザビリティ [ 幸之介の@ ]
 ただ単に、それまでなれていたコントローラと違うのを出されると慣れるまで時間がかかる、というだけの事なんじゃなかろうか。だいたい、あとから市場に参入する会社にしてみれば、なぜわざわざ特許料を支払ってまで古株のライバル会社の方式に従わねばならんのだという話。ユーザビリティとか言ってみたところで、いくらなんでもありえない。
 ひとつ重要なのは、皆が皆ファミコンスーパーファミコンからのユーザーじゃないということ。プレイステーションで初めてゲーム機に触ったユーザーからしてみればプレイステーションのコントローラが標準なわけで、そこからニンテンドー64ゲームキューブのコントローラを見るなら、そちらこそがユーザービリティのかけらもないヘンテコデバイスという認識になるはずだ。
 ゲームのコントローラや操作に関する発言は今までもいろいろなところで出てきているのだが、ほとんどものは、どれもこれも論者が馴染んでいるコントローラや操作方法を基準とし、それに沿わないものを「ダメなコントローラ」「おかしな操作」と呼んでいるだけ。そんなのは、慣れの問題だ。全人類的に同じ経験を有しているのならそういう理屈でも結構だが、残念ながらそうではない。ファミコンに馴染んだ人もいるし、プレイステーションに馴染んだ人もいる。ドリームキャストに馴染んだ人もいる。任天堂ファミリーコンピュータが最初に普及したからといって、任天堂のゲーム機を、ファミコンだけを唯一絶対の基準としてあれこれ語られても困るんである。そんなものは所詮ファミコンに馴染んだ人の間だけで通じるお話であって、そりゃ自分らの親しんだものが流れとして続かないのは腹立たしいのかもしれないが、後の世代の人間にとっては果てしなくどうでもいいことでしかない。はっきり言えば、下手くそな任天堂讃歌にしか聞こえないのだ。
 とか書いていて、そうか、これはジェネレーションギャップによる世代間闘争なのだなぁということに気がついた。闘争というほど大したもんでもないが、大筋としてはそういうことだよな。歴史として流れを捉えるのならば、そりゃまぁ最初に出たモン勝ちなのだが、その最初の時期にいなかった人間からすれば、それだけを基準に語られるのは迷惑千万である。自分らの世代の常識を押し付けて「最近の若いもんは……」と愚痴る中年や年寄り、と例えればどんなもんか分かるだろう。鬱陶しいことこの上ない。


 ところでボタンの名前だが、ABXYだろうが○×△□だろうが、同じ記号だ。どちらもボタンの形態や効果そのものとは何の関係もない。表現としては同じであって、それを「コマンドを失った」とまで言うのはどんなもんなのか。アーケードの格闘ゲームを考えてみれば良い。AボタンもBボタンもないが、コマンドはP(パンチ)ボタン、K(キック)ボタンといった呼称を用いてなんら問題なく表現されている。表現が難しくなどなってはいない。ユーザーの方が勝手に「見慣れたアルファベットじゃなきゃ嫌だ」と文句をつけて受け入れを拒んでいるだけだ。受け入れることも含めての「表現」であるならば確かに表現が難しくなってはいるわけだが、その難しさが言っている本人らの意固地さに起因しているのでは、対処のしようもない。とっとと諦めて受け入れてくれよ、と言うしか。