盗用・パクリについて言いたいことを言わせてもらう――TBS記事盗用・パクリサイト・劣化コピー・パクリソフト [ 絵文録ことのは ]

 ブログっちゅーても、どちらかというと日々の自分の思ったことを書き留める日記的意義が強い自分としては、わざわざ他人の記事を盗用して自分の意見のように言いふらすことに何の意味があるんだか分からん。…・・・と言いつつ、でもまぁ確かに、こうやってウェブで公開しているということは、単なる個人的メモにとどまらず自分の考えに対して他人の共感を得たいということであるし、それはつまり「面白い記事を書いたと褒めてもらいたい」という欲求にも繋がるわけなんであるが、例え他人が気がつかないとしても自分自身はその記事は自分で書いたものではないことを知っているのだから、そんなのをいくら誉められたところで嬉しいどころか後ろめたさばかりが募って精神的によろしくないんじゃなかろうか。そんなことはないのかな、ていうか、ないからこそやるんだろうなぁ。他人とは分からんものだ。


 ところで記事を読んでいてひとつ言いたいことがあったのでここで。

 わたしは個人的に大嫌いなものがある。よく居酒屋なんかでいると思うが、テレビや雑誌やネットで仕入れた知識を、「あたかも自分が思いついたこと」であるかのようにしゃべっている薄っぺらで底の浅い連中である。たとえば、「テレビで言ってたんだけど、豆乳入りの化粧品っていいらしいよ」なら気にならないのだが、「豆乳入りの化粧品っていいのよ」とテレビで言っていたことをそのまま受け売りで語るのは、知らない人には「へえ、よく知ってるんだね」と感心してもらえるかもしれない。だが、テレビを見ていた人にとっては「それ、昨日みのもんたが言ってたことそのままやん」と、記憶力とテーマの抽出力には感心したとしても、「知ったかぶり」という言葉が頭に渦巻いて評価はがた落ちとなる。

 気持ちは分かるのだが、偶然にテレビと同じタイミングで同じ話題を扱ってしまったという可能性も考えて欲しいなぁ、と、自分の二十余年の僅かながらの人生経験に基づいて思うのでありますよ。自分の発言が「ああ、こないだテレビでやってたやつね」と一蹴されるときの気分といったら、それはもう悲しいやら虚しいやら歯痒いやら。そこで「いや、そうじゃない。違うんだよ」なんて言い始めたって白々しさが倍増するだけなのも分かってるので、もうどうしようもないんである。いと悲し。