5月1日の記事で「そこでようやく『VIKIは別に三原則破ってないじゃん』ということに気がついた」などと書いたわけであるが、考えてみたら、いくら「危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」という部分を拡大解釈して「ロボットが人間を管理する」という結論を導くとしても、その結果とった行動が「ロボットは人間に危害を加えてはならない」に反するのならば、やっぱり三原則からは外れているのではないかということに、また気がついた。三原則が生きるのはキャラクタの行動や思考に制約を設ける絶対的な規則であるからこそなのではなかろうか。「ありえないことが起こった。なぜ? どうやって?」。その疑問こそが三原則が物語にとって最高のスパイスになる秘訣なのであり、安易にその規則を破ってしまっては何の意味もありゃしないんである。「何でもありだったんじゃん」で終わってしまう。だから、やっぱりこの作品はダメということにしておく。それが結論。


 ところで、Wikipediaのロボット工学三原則の項を見ると、個々の人間に対しての行動より更に優先するべき人類に対する行動規範である第零法則というものが書かれている。『ロボットと帝国』は……読んだことあったかどうか忘れてしまった。うぅむ。それは今度確認しておくとして、さて、Wikipediaの説明だとひとつ疑問が残るわけだが、三原則は陽電子頭脳に組み込まれて違反が不可能なのであれば、いくら第零法則を設けてもそれを三原則に反映できないということでないのか? 確か三原則を犯すと物理的に回路が閉鎖されて機能停止になるはずなのだが、だとすれば例えどんなに強制したとしても、三原則に優先される規則などありえない。ロボットの「三原則を犯した」という認識があって初めて回路の閉鎖が行われるのか? いやしかし、それではロボットの屁理屈次第でいかようにも違反し放題ということにもなりかねない。通常の思考回路とは別に、事態を認識し対処する独立した専用回路がなければいけないのではなかろうか。んー。分からん。まずその当該作品を読まないことにはな。