クソゲーを買わないために僕らが、あなた達がすべきこと。できること。

 「ひどいクソゲー」「昨日フラゲして今日売ってきた」「ディスク割ってやった」。そんな話題で盛り上がっている光景がある。ひとつやふたつ、ではない。たまに、でもない。いろんなゲームを肴に、あちこちで、同じようなことをしょっちゅうやっている。
 考えてみると不思議なことだ。ゲームを買ったってことは、そのゲームに対して「きっと面白い」と期待していたということだ。だから買った。それが面白くなかったからと、ゲームを叩く。それを見て同調し一緒になって笑う。ふむ。
 で、それを「きっと面白い」と思っていた人のボンクラっぷりの方は笑わないの? なぜ? 誰か一人でもそう思ってはみないの? 皆してゲームを笑って叩いてそれで満足してるの? 滑稽だよね。「これはこういうゲームなんだぜ、きっと面白いぜ」と期待して、勝手に内容を決め付けて、それが違うと顔を真っ赤にしてゲームに八つ当たり。同じようなレベルの頭を持った人の集まりを見つけて、そこで互いに必死に正当化しあって。そしてまた次もクソゲーを買っちゃって、同じことをずっと繰り返すんだよね。


 クソゲーを買ってしまわないために何をすればいいか。書き出してみると、実は意外と簡単だ。

  • クソゲーを買わないこと。
  • 買ったゲームをクソだと思わないこと。

 ブラウザを閉じるのは待ちたまえ。他のページに移動するのは待ちたまえ。

クソゲーを買わないこと」

 そりゃそうだ。ていうか、買わないためにどうすればいいかを知りたいのに、「買わなければいい」とか答えられても困るというものだ。ちなみに、違法コピーに手を出してしまえと言っているのでは、決してない。
 これはつまり、買う前にちゃんと情報を吟味しようと言うことだ。買わないために事前に出来ることといったら、それくらいしかない。会社に忍び込んで完成版のROMを盗んでくるとか、上手い具合にテスターになれたとかでもなければ。
 ただし注意して欲しい。ここでいう情報の吟味と言うのは、ボンヤリとゲーム雑誌やニュースサイトを眺めていることではない。コントローラを握って自分がプレイしているところを頭の中に思い浮かべながら、よく見てみよう。そう意識するだけでもだいぶ違う。何かしらのゲーム内のシステムが解説されていたとして、それはどういうシーンでどういう風に使うものだろうか、と考えてみる。どういう風にしか使えないものなのか、と考えてみる。勿論、限られた情報の中で素人がやる推測だから、当たるとは限らない。でも、ただ新情報や派手な画面写真に「うわ面白そうー」と思っているだけよりかは、少しはいい。


 ところで、「○○できないからクソゲー」「××だからクソゲー」喚いている人に「ゲーム雑誌に書いてあったことくらい読めばいいのに」と言うと、「そんなの読むのはオタクだけ」「前情報なんて入れたくない」と返ってくることが多いですね。まぁ、喚いていない人でも、そう言う人はいるだろうけども。そんな人に言っておきたい。前情報を入れない、という選択をしたのはあなたなのだから、外れの確率が高くなることくらい覚悟しておきなさい。天性の勘でも持ってるつもりですか。違いますよね。そんなの持ってないから、そうやってクソゲー買っちゃったわけですし。外れのリスクをとるか、ネタバレのリスクをとるか、ちゃんと考えて選びましょう。

「買ったゲームをクソだと思わないこと」

 斬新ですね。そう。あなたがそれをクソだと思わなければ、それはクソゲーではないのです。したがって、クソゲーを買ったことにはならない。解決です。
 冗談です。でも半分は真面目です。
 「こんなのクソゲーだ」と放るのは簡単です。ネットで叩いて叩いて叩いて、何が始まったのかと集まってきた人を相手にひと演説ぶって、それで少しは憂さを晴らすことも出来るでしょう。でも、得るものはほとんど無いですよね。勿体無い。
 せっかく金を払ったんだから、それを糧にしましょう。まず落ち着いて。すぐ頭に血を上らせてクソゲークソゲー言うのを止めて、どこが自分に合わなかったのかを考えましょう。そして、その部分が何故そう言う風に作られているのかも考えてみる。自分のプレイを少し変えてみると、ちょっと視点をずらしてみると、うまくいくんじゃないかと考えてみる。自分に合うようにはならなくても、「なるほど、これはきっとああいう感じにしたかったんだな」というのが分かるかもしれない。
 考えを少し緩めてみること。「こうじゃなきゃダメだ」という決め付けを捨てて、「俺の好きなゲームとこのゲームは違うけど、こういうのが好きな人だっている。その人の好みと遊び方次第で、評価は変わる」。こうして改めて言われてみれば当たり前に思えることだけど、普段は忘れがち。ちょっと意識してみよう。
 前向きに捉えることも大切だ。最初からクソだと決めてかかるのは論外。ノーテンキにやれとは言わないが、一度やってみて違和感を持っても、「でもこれを面白いという人もいるのだから、やり方次第では俺にだって楽しめるのではないか?」と思いながらもう一度挑戦してみるくらいの余裕はあっていい。操作に慣れなくて上手く動かせないなら、2度3度とやってみて少し慣れてみる。最初のときと動きはがらりと変わって、ゲーム中にできることは増えたんじゃないか? 補充される銃の弾数が少ないと思ったなら、無駄弾を使わないように意識してプレイをやってみる。
 勿論、素人のやることですから、うまいこと分析なんてわけには行きません。そんなことが出来るほどの素晴らしい脳みそと感性を持っているなら、そもそもクソゲーを買うことなんてないわけです。でも、自分なりにやってみる価値はある。冷静になって、ゲームと、それを遊ぶ自分を眺めてみる。そこでもし「こういうときは、こういうプレイにすれば面白くなるのか」て気が付ければ、儲けもの。そうならなくても、「こういうのは俺には合わないんだな」とか、とりあえず気に留めておいて損はない。ただし、そこでまた「こういう要素があるゲームはダメ、クソゲー」なんて捕らわれないようには気をつけたい。

自分を守るのは自分だけ

 面倒? でも、無駄ではないですよ。発売前の情報を吟味し、発売後のプレイもせめて少しは腰を落ち着けて味わってみて、そうして得たものが、あなたの感性を磨くのです。次に何か欲しいゲームが出来たとき、それがどういうものかを判断するために経験値が、得られるのです。
 「これ面白そうだなー。でも、あれ、このシステムって、前に買ったあのゲームにも似たようなのがあったよな? あれはあんまり自分には合わなかったんだっけ……」と思ったり、そこから「お。あのゲームのシステムとは、ここが違うのか。これはちょうど俺が合わないと感じてたところじゃないか。そこが変わってるなら……」となったり。そうやって、クソゲーを買ってしまう確率を少しは下げられる(かもしれない)。
 ボンクラのままでは、いつまでたってもクソゲーを買うことになってしまう。過剰に期待して、落胆して、無駄に期待して、落胆して、勝手に期待して、落胆して。そのたびにネットで吼えて、偉そうな態度で虚勢を張ってみせて、上から目線(で見れてるつもり)になって、それでいいのか? そのままでいいのか? 罵倒書き込みがコピペされ、ディスク破壊画像があちこちに貼られ、まるで自分が人気者になれたつもりにもなるかもしれないが、せいぜいが「また格好のネタ提供者が来たぜ、毎度毎度ご苦労様」程度にしか思われないよ。彼らが欲しいのは、あなたではなくネタなのだから。そして、残念ながらその程度のネタは、あなたでなくても、どこの誰でも、どんなバカでも提供できちゃうくらいのものでしかない。クソゲーを買ってばっかりのあなたでも出来るようなことなんだから、分かるでしょ。そんなので満足しちゃう?


 己のボンクラを直せるのは自分しかいない。あなたの金でゲームを買って、あなたの時間でゲームを遊ぶ。無駄にしたいなら、誰も止めない。無駄にしたくないなら、あなたがやるしかない。