ネットの普及はオタクに何をもたらしたのだ?

 ネットをはじめたのは高校生の頃で、2ちゃんねるを見るようになったのは大学生になってから。今では、ネットがない生活なんて考えられない。いや、先日モデムが壊れてそういう生活になったときは非常に充実した読書生活が送れて大変に満足したのだけども、それはあくまで「サポートに電話すればすぐ交換してもらえるだろう」という安心感があってこそのもので、もし「パソコンが壊れた、新しく買わないと」だったらそう暢気なことはならなかったろう。


 ネットのあるとなしで何が違うって、それはもう「情報取得にかかる時間」の一言に尽きる。かつて、何か新しい情報を得ようとしたら、それはそれは大変だった。新作情報なら、発売される雑誌を買ってチェックしていればなんとかなる。しかし旧作情報となるとこれはもう、「参照しうるそれまでの雑誌バックナンバーをどれだけ持っているか」で全てが決まる。持っていればそれを繰っていって目当ての情報を探す。自分が持っていなければ、オタク仲間で持っている人が身近にいれば、その人に借りる。もしくは、その人が知っているか聞いてみるという手もある。
 しかし、自分は持っていないし周りにもそんな人間はいないとなると、これはもうどうしようもない。情報(権利)を持っているであろう会社に問い合わせでもするか、どこかの古本屋か図書館でバックナンバーを見つけてくるしかない。それはそれで何とかできそうではあるが、しかし今同じような調べものをしようとした場合の労力と比較すると、天と地ほどの差があることは明白だ。キーワードをgoogleに放り込めば、その結果がずらりと並ぶ。Wikipediaも基本的情報なら大体信用できるレベルで参照できる。勿論、そんな現代においても取りこぼされがちな情報はたくさんあって、ネットで調べれば何でも分かるなんてことは決してない。情報が膨大すぎて、仮にあるとしてもなかなか見つからないという問題もある。が、それでもやっぱり、かつて何か知りたいと思うたびに『ニュータイプ』のバックナンバーをごそっと取り出して片っ端からチェックしていた頃を思うと、「便利になったなぁ」なんてレベル簡単を飛び越えて「あれって本当にわずか十年ちょっと前の事だった?」という当惑すら感じずにはいられない。


 で、そうなると浮かぶ当然の疑問は「情報検索にかかる時間が減ったなら、その浮いた分は一体何に当てられてるようになった?」ということで。より深みに潜るようになったのか、それともより大きく手を広げるようになったのか。
 さらに、本来は違法ではあるけども、でも現実としてP2PソフトやYouTubeを使用したコピーゲームの配布や動画データのやり取りと言うのは少なからず行われている。ネット以前だってコピーしたビデオのやり取りなんてのは普通にあったわけだけど、でもそれとこれとじゃ規模が違う。そういった変化ってのはオタクの生活にも何かしら変化を与えてるとは思うんだけども、じゃあそんな「いろんな作品を見やすくなった」という環境の変化は、一体どういう影響を与えているのだろう。


 じれったいのでもうさっさと結論を言ってしまうと、つまり「オタクってもしかしてネットの普及で均質化されてる? それともされてない?」ということを最近ふと考えたりする。以前のオタクが均質化されていなかったのかどうかは知らないし、今でもいろんなオタクがいるのは分かっているけども、さてどうなんだろう。まー、「オタク」と一つに括ってどうこう言うこと自体がナンセンスってことになるのかな。
 でもほら、オタクって常にある程度の「共通知識」を求められるでしょう。ガンダムファミコンスーパーファミコンエヴァンゲリオン。20代30代のオタクが集まると、大体その辺のことは当然知っているよね、という前提で話が進む。でも当然ながら、同じ世代でも知らない奴はいるわけで。例えば自分は、同世代の人間がゲーム体験の原点として語るスーパーファミコンを知らない。せいぜい友達の家で『ストリートファイター2』を遊ばせてもらったとき、百裂張り手のやり過ぎで親指の腹が真っ赤にはれたというくらいの経験しかない。ましてや2D時代の『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』なんて、耳垢ほども中身を知らない。
 以前ならどうしようもなかった。知らないもんは知らないし、そんな昔のことなんて知りようもない。レンタルビデオ借りるにしたって必ずしも近所のレンタル店に全巻揃っていてくれるわけでもなければ、それなりに金も掛かる。昔のゲームを買うんだって、必ずしも近所の中古屋にお目当てのソフトが売っているとは限らないし、買うとすればやっぱりお金もかかるし、また対応ハードウェアの用意にも同様の手間を要する。
 でも、今はその手間が随分と省ける。P2PとかYouTubeだと違法になっちゃうけど、違法じゃないレベルでも、例えばどこの店なら安く買えるかを調べることができるし、Wikipediaやファンサイトを見ることで実際に見たり遊んだりしなくとも軽く語るなら困らない程度には知ったつもりになれる。あらすじ1本調べるのにも雑誌のバックナンバー引っ張り出さなきゃいけなかった昔とは大違いなわけですよ。「それ俺知らないんだけど、どんな内容?」といっそ話してる相手に聞いてしまう手もあるけど、それは今も昔もオタ的には敗北宣言なので最終手段のはずだ。匿名掲示板なんて便利なものはなかった時代なら、なお更。


 というところまで至って思ったのが、今度は「今のオタクにとって知識ってなぁに?」という。ここまで情報の取得が容易になったなら、自然と情報そのものの価値と言うのは下がっているのじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。知らなければ調べればいいじゃない、ていうことには……ならないのかな。自分の実感としては「なってない」んだけど、その実感の通り、変わってはないのかな。取得の容易さには関わらず「たくさん知識がある奴がすごい」と言う世界であり続けるのか。


 うだうだ書いてたら0時も過ぎちゃったので、いい加減このくらいで止めとくか。