野次馬の妄想

 いろんな人たちがライトユーザーがどうこうコアユーザーがどうこうゲーム人口の拡大がどうこうゲーム2.0がどうこう任天堂がどうこうとかあれこれくっちゃべってるけど、つまるところみんなの意見を簡単に纏めると

「悪いのは俺じゃなくて、全部ほかの奴らのせい! これまでもこれからも!」

ってことだよね。ライト寄りを自覚するユーザーはコアゲーマーの軽薄さを糾弾し、コア寄りを自覚するユーザーはライトユーザーの身勝手さに腹を立たせ、新しいものに取り組まんとする開発者はそれに疑念を抱く開発者を古い奴らだとせせら笑い、疑念を抱いてる開発者は流行に乗るだけの開発者に呆れかえる。
 ゲームに限ったことじゃないし、自分の人のことをとやかく言えた義理じゃないんだけど、なんで皆自分と違う意見は認められないんだろうかと、他人様の行いを眺めているとふと思う。いろんな意見が出て喧々囂々やりあうのに、何故か絶対「いろいろあっていいじゃない」にはならい。「俺はこれが正しいと思うから、それが絶対。他は認めねぇ。俺と違うこと言ってる奴は全員バカ」しか言わない。そりゃあ、ユーザーは自分こそが楽しみたいものだし、開発者も自分こそが好きな分野で第一人者たりたい。いくら市場の閉塞に辟易していて、拡大とそれに伴う盛り上がりを望んでいるといっても、そこから自分が取り残されちゃたまらない。
 でもねー。なんつーか、べつにいいじゃん? 小物と大作が一緒に出ればさ。どっちか片方だけに絞るこたぁない。だいたい問題なのは、長くて小奇麗なムービーさえあればいいよね、とか、脳トレっぽい要素が入ってさえいればいいよね、とか、そういうことで。一つ売れるのが出るとみんな右へ倣えで、猿真似ばかりし始めるっていう。大作の振りをすることにばかり腐心してきたのが良くないなのであって、大作であること自体がどうってんじゃあない。デカいとか小さいとか新しいとか古いとか、それぞれのデザインの持つ問題が云々ちゅうのはまた別の話だと思うのよ。その辺、なんかうまいこと摩り替えて話してる人いるよね。自分みたいに単に頭が悪いから理屈がめちゃくちゃなわけじゃなくて、明らかにわざと都合のいいように。
 まーでも一つ言えるのは、今はみんなが不安で迷っている時期だ、ということなんだと思う。その裏にあるのは「もうすぐ何かが起きる」若しくは「何かを起こさなきゃいけない」という意識で、だから、何だか新しいものを見せてくれそうな任天堂に惹かれる人が多くいて、またそれを巡ってあーでもないこーでもないとやり合ってる。己の立場ははっきりさせているつもりだけど、それに自信がなく不安でしょうがないから他の意見を叩いちゃう。そういう意味では、惰性でだらだらやっている雰囲気しかなかったちょっと前までよりかは、かなりいい状態と言えるのかもしれんなぁ。


 なんて下らない空想に耽ってる暇があるならゲームやれよって話だけども。ここ最近あんまりゲームやってないのよね。