自由

YOMIURI ONLINE : 「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か

 「表現の自由」ってのはとても大事なことだと思うのだけれども、今の時勢にその言葉が持ち出されるのは往々にしてゴシップ的なつまらないことばかりで、もういい加減に「表現の自由」という言葉自体が陳腐化して来ていることの危機を、編集者や作家はよく考えてみるべきだと思う。自分が書いたもの・出版したものにケチつけられれば反論したくなるのも分かるが、それは果たして嫌がっている人を押しのけてまで表現をする価値があるものなのかどうか。回避するための手立ても、譲歩するだけの余裕もないことなのか。
 いやまぁ、そこの考えが人によって全く違っちゃうから、表現の自由・表現の規制ってのは難しいんだけどもさ。だけども、「表現の自由」という言葉の陳腐化によって、その言葉が示す自由そのものまでもどことなしに褪せた印象になりつつあるのは確かだと思うんで、今のままでは将来的にあまりよろしくないことになるのではないかな、というのがついさっきふと頭に浮かんだわけなんでございますよ。