Critique of games : 死の表現
 ゲームにおける死の表現についてまとめたもの。
 ゲームにおける死に関しては、ひとつよく覚えているものがある。何年か前、『ファミ通WaveDVD 2003年10月号』でやってた『ファイナルファンタジー10-2』特集で、読者から募集したやり込みビデオを出演者である松本まりかさんが編集者のあらじ谷塚さんと一緒に審査するというコーナーだったんだけど。その中の、レベル1のユウナだけでゲームを進めるというやり込みで、最初の戦闘でパーティーのユウナ以外のキャラクタを戦闘不能にするというのがあった。そのビデオを見終わって、松本さんが「リュックもパインも死亡させちゃうところが、ちょっと極悪ですよねー」と言うや、あらじさんが「死亡と言うか、戦闘不能状態……」と言い直していて。それだけのことなんだけども、見てて衝撃的だった。「死亡って、言っちゃいけないんだ」と。普段RPGやらんからあのジャンルでの言葉の使い方というものを知らなかったのだけども、ああそうなのか、と。あの作品では死は隠蔽されているのか、と。
 もう一つ、これはいつだったか良く覚えてない。友人の家に高校時代の部活仲間が集まることになったとき、重い思いをして(念のために書いておくと、別に洒落で書いたわけではない)Xboxを持っていって『Halo』をやらせたことがあった。自分は『Halo』は素晴らしいゲームだと思っていて、その友達たちはそれほどゲームに詳しいわけでもないから、恐らくFPSちうジャンルも知らないだろうとも思い、「こんな面白いゲームがあるんだよ」と紹介でもするつもりだった。期待したほどの手ごたえはなかったが、それでも酒も入り和気藹々とした場であったこともあって一応楽しんでもらえたのだが、中の一人だけは「こういう、人を撃つ戦争ゲームはやりたくない」と言ってやらなかった。


 それから少し考えるようになった。例えば『グランド・セフト・オート3』なんかは、残酷なゲームの代表みたいに言われていて、なるほど、車を盗んだり、通行人を殺したり出来る。でもさ、殺せはするけど、その行動に対してはちゃんとペナルティがあるんだよね。あのゲームの世界では現実同様に警察というものが存在して、犯罪を犯しているところを見つかるとしっかり犯罪者として追われ、悪事を重ねるごと上がる指名手配犯としてのランクに比例して警察の追及の手も厳しくなっていく。それに対して、日本国内では人気のジャンルとして楽しまれているRPGはどうなのか。敵を撃って、斬って、殴って、叩いて、焼いて、感電させて、凍らせて。で、経験値やお金やアイテムなんかの、戦闘の報酬を得て終わり。
 死を巧妙に隠蔽することで低年齢のユーザーでも気にせず遊べるようになるのは分かるのだが、でも、「隠蔽してはい終わり」でいいのか? 製作者が「これは死んでいるわけではありませんよ」と言えば、それでいいのか? プレイヤーの操作によってキャラクタが取っている行動は同じで、暴力には変わりないのに、その行為に対する現実的な結果を隠蔽することが、直接的に描くよりも良いことなのか?
 プレイヤーが自覚してようがしてなかろうが暴力には変わりない。残酷だから忌諱するのは分かるけど、でも、残酷じゃないことも問題になるべきじゃないのか? 


 とか書いてみたんだけど、ただでさえ悪い頭を深夜に使うのは良くないなと実感したのは内緒。