くどい様だがもう一度書くと、「個人的にはグラフィックはもう現行機のレベルで十分で、あとはロードを早くしたり一度に動くキャラクタを増やしたりマップを広げたりという方向で進化してもらえれば良し」なのだれども、次世代機発表のあとの各所での「グラフィックスゲー」「PS3最強」というコメントを見ていて、もしかしてこれからのゲームソフトはもう自分には合わないんじゃないかという疑念がじわじわと広がってきた。現行機以前のものでも既に相当ソフトを持ってるし、店にもまだ中古ソフトはたくさんあるし、これ以上無理して前に進まずに立ち止まってのんびりと今あるものを満喫してれば良いんじゃないか……。
 とか言いながら「いやでも、まだ次世代機のソフトがどんなもんかは分からないのだし、世間の流れから取り残されるのはやっぱり嫌だな」と思って、カンフル剤代わりとばかりにさらにインターネットをめぐったわけだが、なんつーか、危惧していた通りに信者認定と貶し合いと化した性能議論が方々で起こっていて、カンフル剤どころかもうこの上ないくらいの絶望感が心を覆ってますよ今。やっぱりグラフィックなのか。リアリティあふれる写実主義なのか。それしかないのか。もう自分の居場所はないのか。


 グラフィックがキレイになるのはそれはそれで結構な話だ。サターンやプレイステーションレベルでのグラフィックも好きだけど、それよりキレイになるというのを否定するわけじゃない。でも、そのことばかりにかまけて、それしかしないでいるのは……ねぇ。「上がった性能はグラフィック以外にも恩恵を受ける」なんて言うのは簡単だが、でも実際に現行機で「グラフィックがきれいになりました」以外に示してもらったものがない。プログラムなんて知らないしソフトウェア開発者でもないから本当のところは知らんけども、事実はどうあれ自分はそれしか実感できてないのが現実。わざわざ次のステージに上がってまで全く同じことが繰り返されるのだとしたら、それはもう悪夢だ。いや、そんなやさしいもんじゃない。悪夢だと分かってるなら避ければ良いだけだ。本当に恐ろしいのは、悪夢だと疑う一方で進んでその中へ入っていこうとしている自分もいるから。いずれ出るであろう『Halo3』を遊びたいし、レボリューション(仮)でどんなゲームが出るのか楽しみにしている。でも、だからと言って、だからと言ってうっかり足を踏み入れようものなら、際限なく続くグラフィック讃歌の単線ループにはまり込んで、もう二度と出て来れなくなるんじゃないか。そんな恐怖が、すごい勢いで自分の中で広がってる。勿論これは個人的な話であって、前向きに期待できている人もいるだろう。それを間違っているなどと偉そうに言うつもりはない。むしろ心底うらやましいと思う。世の中、楽しんだ者勝ちだ。できるものなら、そこに入りたい。だれか、助けてk






 って、なんだこりゃ。勝手に気分が盛り上がっていつの間にやら妙な文章が。
 「『グラフィックがキレイになりました』しか言わないようなゲームは勘弁してくれ」ってのは確かにあるけども、別に新しいゲームとか望んでるわけでもないし、ていうか「新しいゲーム」なんて言葉よく使う人いるけど、そんな抽象的な概念を持ち出されても分からねぇよな。だいたい本当に新しいものが出たら、多分それは自分らなんぞには理解できないもんだろうし、「シリーズじゃないオリジナル作品を」とか言ってみたところで、良く出来たオリジナルに出会ったらあっさり宗旨換えして「是非シリーズ化してくれ」とか言い始めるのは分かりきってるのだし。いいんだよ、新しいとか古いとかオリジナルとかどうでもいいの。面白けりゃね。ただ問題は、面白そうと思えるかという点で、つまり「グラフィックがキレイに〜」はもう宣伝文句として聞き飽きたということなんだよ。鬱陶しいんだよ。あれだ。映画の試写会帰りみたいな一般人が「感動しました」「泣きました」とか言ってるようなCMな。あれに例えりゃ話は早い。どんな映画でもまとめて感動系でくくって似たようなCMばっか打ちやがるだろ。ふざけんな、と。他には何も浮かばないのかお前らの頭には、ていう。馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返しやがって。あれに対するイラつきと一緒だ。うん。
 すっきりした。