自称中学生のブログを読んでいて思ったわけであるが、やはり、幼き頃よりあのように不特定多数に向けた文章を書く習慣があると、そうでなかった世代に比べてさまざまな価値観などの変化が起きるのであろうか? 新たなる文学の誕生と言えるのやもしれぬ……とかなんとか寝言を書いてみる。暑い。

秋葉系が良いらしい

 こないだ大学からの帰り、大江戸線のあの長い長いエスカレーターに乗って降りていたら、うしろの女性が携帯電話でおしゃべりをしていた。
「いま秋葉系が良いらしいよ。……うん。秋葉系。雑誌に書いてあった。……そう、秋葉系が良いみたい、最近。……そうそう。でも、そうだよねぇ。秋葉系なんだよねぇ。……でも狙い目らしいよ、今。……そう、だけど流行ってるみたい」
 『電車男』以来そういった発言がないでもなかったが、だいたいはオタク発の冗談半分のものだったわけで、全く別の層でまでそんな話が出ているのかと驚いた次第である。
 まぁ、言葉の端々に現れる逆接の表現が、その女性と話し相手が持つオタクに対する本来的なイメージがどんなもんであるかを如実に物語ってもいるわけであるが、なかなかに楽しく聞き耳を立てていたことを白状しておきたい。

追記

 投稿した記事を見て、「秋葉系ってキーワードになってないのかぁ」と意外に思ったのであるが、何気なく電車男のキーワード説明を見たらアキバ系という語でキーワードが張られていて、ああ、そちらの表記が一般的なのかと、またひとつ賢くなったような気になってみた。
 ただ、アキバ系のキーワード説明で「秋葉原を聖地と仰ぎ」としながら「『オタク』とほぼ同じ」ともあるのは納得がいかない。「あなたはオタクか?」と聞かれれば「はい、ゲームオタクです」と答えるが、「アキバ系か?」となると少し話が違う。理由は簡単で、特に好んで秋葉原に行くことはしないし、聖地だとも思っていないからだ。とはいえ、アキバという言葉が地名から来ているからといって、必ずしもその土地への思いがなければいけないという決まりもなく、秋葉原を特別視するオタクは少なくないという点も勘案すれば、同じ意味だと決められればそれで納得するしかないのかもしれない。と思いつつ、やっぱり、秋葉原に行かないのにアキバ系にくくられるのは、なんだか自分が尊重されていないようで少し不満である。だからなんだ、という話だが。

転生

 開設してからまだ一月と経っていない世界の果ての片隅でであるが、この度めでたく閉鎖が決定したので、誰かチェックしてる人がいるわけでもなかろうが、一応告知しておこうと思う。
 念のために言っておくと、この世界の果ての崖っぷちでは今後もなんら変わりなく引き続き更新されていく予定であり、閉鎖する「片隅」の方は既に別のブログを開いて引継ぎをしている。が、そこはもうリンクしない。
 以上、ネタがないのでこんな瑣末なことまで記事としてひり出してみた次第である。

不思議

 こないだ大学に行く途中、公衆電話の前で受話器を握ったおばさんに「あのぅ、すいません」と声をかけられた。はっきりとこちらに顔を向けて話しかけられたら無視するわけにもいかず「どうしました?」を応じたのであるが、返ってきたのは「受話器を置いてくれませんか」。聞き間違いかなと思って一度聞き返してみたが同じ返答だったので、彼女の手から受話器を受け取って電話機本体へと戻すと「どうもありがとうございます」とお礼を言って彼女は去っていった。こちらも大学へ行く途中だったので、とっととその場を離れて駅へ向かったわけであるが、あれは一体何だったのだろう。腕が上がらず受話器が置けないということはありえないでもないが、だとすればなぜ彼女は既に受話器をつかんでいたのかがよく分からないし、持った受話器をこちらに示した腕はどう見ても自力で置ける程度の高さには上がっていた。うぅむ。


 数年前、同じ場所で身体障害者の方に声をかけられたことがあった。足が曲がって一人ではうまく歩けないようで、「駅の改札まで手を引いていってくれないか」と頼まれ、自分も駅に行く途中だったし改札まではせいぜい百数十メートルもなかったので承諾して送ったのであるが、その声をかけられた場所というのはすでに地上から何段か階段を下ったところにあり、駅はデパートのまん前にあって最も近い住宅からも数百メートルは離れている。人の手を借りないとうまく歩けないとするならば、あの人はその場所まではどうやって来たのだろう。分からない。


 頼みそのものは無茶ではないし、断らなきゃいけない理由もなく、他人の役に立てるなら嬉しくないものでもないが、どちらもシチュエーションが腑に落ちず、すっきりしない。そういう場所なのだろうか。はて。