小芝居裁判
肝炎訴訟のニュースで、階段を駆け下りてきて「和解勧告」って書いた紙を広げる女性の図が盛んにテレビで流れてるけども、これに限らず裁判のニュースでは「勝訴」だの「不当判決」だの書いた紙広げる同じような図がお約束じゃないですか。
でもなー、どうなんだろう。俺、あれがどうも呑み込み難いって言うか、「おまえらその訴訟は真面目にやってんの? どうにかしたいと本気で思ってるの?」ていう気が湧いてしまうんだよな。わざわざ裁判までやってるからには少なくともその原告が真面目じゃないわけないし、パフォーマンスとしても判決に対する自らのリアクションのアピールってのは一つ大事な要素ではあるんだろうけども、でもなんかなー。
判決が下る前に予め紙に数パターン書いて用意してあるって話だけども、そういうのを聞くと尚のことな。望んだことと違うにせよ望んだとおりにせよ、判決ってのはその争いごとについて一つ大きな区切りなわけで、それに対しては何がしか大きな感情の発露があるのが自然だと思うんだけど、そこで用意されてた紙を見せるって事務的な空気と、様式化されたことによる芝居くささと、そこから覗く俗っぽさってのが、俺の中では残念ながらうまいことまとまらない。「そうするのがお約束ですから」とか弁護士か誰かが吹き込むのか、「テレビでしょっちゅうやってんだから、そうするもんなんだ」と原告の人らが自発的に用意するのか、どちらにしても、一体どんなこと思いながら「勝訴」だの「不当判決」だの用意してんのかしらね。