傍から見る分には、騒動ってのはとっても面白い

 安直な話題作りでほいほい寄って来る視聴者のレベルなんて、その安直さ相応のものでしかないに決まってるじゃないですかー。とかなんとか煽りの文章も考えたんですがそれはやめて。


 あの場合の「崩れ」ってのは、あくまでも期待していたものと違うって言うことの失望を表しただけの言葉なのだから、それに対して「『崩れ』てるんじゃなくて『崩し』てるんだ演出だ絵柄の個性だ」とか「本当の作画崩れってのを分かってないな、最近のぬるい奴は」とか言っても意味がない。ま、反射的に感情をこめて煽り返してだけなんだから筋通ってなくても当たり前だけどもさ。肝心なことは、崩しや個性が意図したものかどうかではなく、言葉の定義でもない。
 絵的な面での演出だとか個性だとか、そもそもそういうものを欲していない視聴者がいるということ。で、別にそれは悪ではない。好みだからね。たとえ当のアニメーターやスタジオが批判にムカつこうが、優秀なアニメオタクさんの大半がカチンと来ようが、なーんにも関係ない。嫌いなものは嫌い。いらないものはいらない。そう思う人は、そう思う。それだけで。寧ろ、作品を見せて「これは良い」「こういう演出はあり」と思わせることができなかったのだから、製作側にとっては敗北と言っていい。一部でも期待に応えられなかったことは、悪ではないとは言いきれない。


 ただまー、視聴者が数ある作品の中から好きなのを選んで勝手に期待する権利があるのと同じように、作る側にも選ぶ権利がある。どういう作品を、どういう人に見てもらうのか。そのためにどういうアピールするのか。今回は、ちょっとアピールがうまくなかった。視聴を想定してない人まで呼んでしまったらしい。痛いミスだ。あんなことすりゃな。重要なのは、ここで一旦そういった余計なものをふるい落とした後、どうするか。まだ余計なものが残っているのか、残したかったものも一緒に落としちゃったのかは知らないけども、ひとまず不要なものが減っためでたい事には違いない。さらに視聴者を絞り込みにかかるにしても、路線を変更して拡大に転換するにしても、この作品にあったアピールってのはどんなのか、今度こそよくよく考えてやらないとさー。
 単に視聴者が多ければいいってものじゃあない。浅慮なサービスで作品と合わない視聴者を一時的にたくさん獲得しても、そのあと反動で手痛いしっぺ返しを食う。今回がまさにそれ。今後も、ちょっとしたことで「またあの作品がやらかした」って騒がれるよきっと。なんもいいことなし。一部の人だけに向けたニッチ・マイナーでこそ輝く作品ってのも世の中にはあるもんだ。いや日曜日の朝にやってるアニメがマイナーってのはないけども、例えとしてね。わざわざタイプじゃない人にまで声をかけて、進んで低い評価をもらうことはない。そういう人には、最初からこっちを振り返ることのないようする方が、互いに幸せ。